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リビングから、いやに騒がしい笑い声が聞こえてくる。ゲラゲラと大声で笑って、なにかをバシバシ叩く音も。
ただお喋りが盛り上がっているとか、そういうものではない。
大人たちが、三人集まって酒盛りしているのだ。そういう時の雰囲気だ。
「最悪」
リビングの扉に手をかけたまま、環はつんと唇を尖らせる。
今日の分の王様プリン、最後の一個は寝る前に食べようと思ってたのに。
このままリビングの扉を開けて中に入り、キッチンまで行って冷蔵庫からプリンを出す。
そんな状況を頭の中で想像して、無理だ、と結論づけた。どう足掻いたって、絡まれる。酔っぱらいたちに。
今日はもう仕方がない。諦めよう。
「はーあ……」
うへえ、と舌を出しつつ振り返れば、そこには環と同じようにげんなりと眉を寄せた一織がいた。
「あ、いお」
「シッ! 静かに」
反射的に名前を呼ぼうとした瞬間、勢いよく口を塞がれる。それはもう、バシッて音がしたぐらいに。
思わずぶんぶんと頭を動かせば、一織はため息をついて首を振った。
「気づかれますので、声を抑えてください」
「おー」
なんてひそひそと話しながら、二人してそろりと後ずさる。リビングの扉から大きく離れたところで、一織はもう一度ため息をついた。
「プリン食べたかったんになー」
「私だって、寝る前に水を飲みたかったんですが」
文句を言い合い、環は頬を膨らませる。
しかしすぐに萎ませると、いたずらを思いついた子供のような顔をした。
じゃあさ、と零れた声が弾む。
「買いに行かね?」
声を潜めて、顔を寄せる。コンビニ行こ、と囁いて、環はニッと笑みを浮かべた。
いらっしゃいませー、と力の抜けた挨拶を背に受けながら、狭い店内を一周する。
仕事帰りに夜のコンビニへ寄ることはあるけれど、こんな風に寮を抜け出して向かったことはない。
見知った店のはずなのに、知らない店員——きっと、遅い時間にばかり働いている人なのだろう——に出迎えられ、おにぎりやデザートがほとんどない空っぽのショーケースを見ていると、異世界に迷い込んでしまったような高揚感があった。
かろうじて残っていた王様プリンを一つ手にし、細い通路をゆっくりと歩いていく。
「あちー……やっぱアイスにしよ」
その途中で冷凍庫を覗き込んで、環は扉に手をかけた。
「もう秋って言うけどさ、まだたまーに暑いよな」
拭うほどでもないけれど、少し歩いただけなのに汗がじんわりと額を湿らせている。シャツの首元や、背中まで。
「そうですね。今夜は特に、蒸し暑い気がします」
一織も同意しつつ冷凍庫の中を覗き込んで、「プリンはいいんですか」と尋ねた。
「プリンも買う」
即答されれば、呆れたように目を細める。手には、近くに置いてあった常温の水を持っていた。
せっかくコンビニまで来たんだからジュースにすればいいのに、と環は思ったが、その飲み口にくっついているものに視線を止めて口を噤んだ。
そこには、彼が好きそうなかわいらしいマスコットがある。なるほど、そういうことらしい。
「逢坂さんに怒られますよ」
「いんだよ。あんな酔っ払い」
俺も水買う、ともう一つ手の中のものを増やすと同時に、横からちくちくと小言が飛んできた。
「私も怒ります」
「えー」
不満げに声を漏らせば、またそんなことを言われる。けれども環が唇を尖らせていると、ため息ひとつで「今日だけですよ」と呟いた。
「あと、せめてこういうものにしてください。半分は私が食べますから」
一織は冷凍庫の中から、アイスを一つ取り出す。二人でわけて食べられるタイプのそれを、顔の前で小さく揺らした。
「いおりんも食べんの?」
「暴食に走るあなたを止められなかった、私の責任でもありますので」
「ボーショク?」
「食べ過ぎってことです。ちなみにお酒の飲みすぎを表す暴飲という言葉もありますが、それは今大人たちが楽しんでいます」
「あんなやばくねーだろ」
一緒にすんな、と拗ねてみせながら、環は一織の手からアイスを受け取る。ソーダ味のそれは爽やかそうで、蒸し暑さを振り払いたい今にちょうどよかった。プリンも手にしてさっさと会計を済ませると、今度はゆるいテンションの「ありがとうございました」を背に浴びて店を出る。
途端に、夜の熱が体を包み込んだ。ぬるい風がさわさわと頬を撫でていく。
「まだ酒飲んでっかなー」
「飲んでいるでしょうね」
帰りがてら、袋を破ってアイスを取り出した。食べながら歩くなんて行儀が悪い、なんてことは、今更もう言われない。
二つにわけて片方を差し出せば、一織は礼と共に口を開く。冷たいそれを一口含むと、ゆっくり溶かすように飲み込んだ。籠るような熱気に包まれた体が、中から心地よく冷えていく。
「私たちは、ああはならないようにしましょう」
三口、四口とそれを繰り返した後、一織はそう呟いた。星空の下、二人で並んで頷き合う。
「な。俺は酒よりアイスのがいいし」
ほとんど中身のなくなったアイスを掲げ、環は笑った。試しに乾杯しよ、なんて言って、歩きながらくるりと回る。
「アイスで? 水があるんですから、水でいいでしょう」
「袋ん中入ってんもん。すぐ出ねー」
「まったく……仕方ないですね」
わざとらしく息を吐いた一織の方は、先程買った水も手にしていた。ボトルの口についたマスコットを、指先がやさしく撫でている。
環はそれを見て目を細めると、急かすようにアイスを振った。一織も同じように持ち上げて、溶けてやわらかくなってきたアイスの底を、とん、とぶつけ合う。
「帰ったらいおりんの部屋行っていー? プリンちょっとあげるから」
「いりません」
「あと、水についてるやつもあげる」
「それは……まあ、あなたがいらないのなら」
貰ってあげてもいいですよ、と今度は頬を染めた一織に、環は間延びした相槌を打った。
顔を上げれば、濃紺の星空。
とはいっても、きらきらきらきら降ってきそうなんてことはなく、至っていつも通り、ぽつぽつと小さくて白い穴を開けるように輝いているだけだ。
その中でも一等輝く星に向かって両手を伸ばし、少しずつ見えてきた寮へと足を進める。ぼんやりと灯ったリビングの明かりは、オレンジ色であたたかい。たった数歩で、もう帰ることができてしまう。
夜中にこっそりと寮を抜け出してコンビニに行くなんて、大冒険のようにも思えた。けれどもきっと、時間としては三十分も経っていないのだろう。音が鳴らないよう、慎重に鍵を回す。
そうっとそうっと扉を開けば、リビングからは絶えず聞こえてくる笑い声。相変わらず、大人たちの宴会は盛り上がっているらしい。二人は黙って目配せをして、肩をすくめる。
そうして吐息だけの「ただいま」と「おかえり」を囁き合うと、一目散に階段を駆け上がった。
